かつて沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校という二つの学校の愛称として知られた「ひめゆり」。1945年の沖縄戦で240人の生徒と教師が日本軍の病院に動員され、136人が死亡した。
自分たちが体験した戦争を伝えようと、生き残った「ひめゆり学徒」たちが1989年に作った「ひめゆり平和祈念資料館」ではいま、戦争の体験者から非体験者への継承が進む。リニューアルに取り組んだ戦後世代初の館長、普天間(ふてんま)朝佳(ちょうけい)さんに話を聞いた。
戦争前、一人ひとりに楽しい日常があった
大学時代、沖縄戦の研究に取り組んだ大田昌秀先生から指導を受けました。2週間ごとに沖縄戦に関する本を必ず1冊読んでリポートを課されました。振り返ってみると、元ひめゆり学徒の皆さんと一緒に仕事をするまで、知識としての沖縄戦でしかなかった、と思います。
大学を卒業して職を転々としていたとき、「ひめゆり平和祈念資料館」の職員募集の新聞広告が目にとまりました。戦争の心の傷を引きずっている人たちが周りにいたし、米軍による事件事故が繰り返され、戦争と地続きで沖縄の人々の人権が日々踏みにじられている。自分の居場所を見つけた気がしたのです。
資料館は1989年6月23…